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快之\nキーワード:歴史学入門/中国社会史/中国女性史/中国家族史/唐宋時代\n唐宋時代は、唐宋変革と言われる中国史における重要な社会変動が起きた時代であり、それを経て伝統中国の文\n化の基礎が形成されたとされる。この伝統中国の文化の特色について理解を深めることは、中国人の価値観や行動\n様式について知る上で必要不可欠であり、それは異文化理解を進める上でも重要な作業となっている。\n唐宋変革や伝統中国の文化については、すでに多くの研究者により家族や地域社会、女性文化など様々な視点か\nら研究がなされ、日本における研究の蓄積も相当ある。しかし、そうした成果について触れられた一般書は必ずし\nも多いとは言えず、高校の世界史の授業でもあまり取り上げられず、大学の授業でも語られる機会はけして多いと\nは言えない。中華圏の国や地域との交流の進展、また、大学での評者の伝統中国の文化に関する授業での学生たち\nの関心の高さを考えると、一般書が少ないために、一般の読者がこうした世界を知る機会が少ないという現状は残\n念に感じられる。\nそうしたなか、日本における唐宋時代を中心とした中国社会史研究を長年牽引し、中国の女性史に関してもすで\n166\nに『唐宋時代の家族・婚姻・女性―婦は強く』(明石書店、二〇〇五年)を書かれ、評者も大学院生時代から薫\n陶を受けてきた大澤正\nまさ\n昭\nあき\n氏によって一般の読者や大学生向けの本書が刊行されたことは大きな喜びであった。そこ\nで本稿では、その内容の要点について紹介してみたいと思う。\nまず、本書が書かれた目的について、著者は「研究の成果をわかりやすく書いた本は積極的に出すべき」(二七七\n頁)との強い思いから、大学受験生、新入生や一般の読者にこの分野の研究に興味をもってもらうために、「歴史\n学の研究とは、史料の読解から出発して新たな歴史像を創造する営為であり、……これが基本的に愉しい作業であ\nる」(二六三頁)ということの一例を示したものと述べている。\nそして本書の内容は、単なる唐宋時代の女性史の紹介ではなく、随所で小説史料、裁判史料など各種の史料を読\nみ解く際の留意点などを含め、研究が練り込まれてゆく過程を丹念に記述し、授業での様々な試みが語られ、学生\nと共に考えるという著者の教育スタイルがにじみ出た内容になっている。この点が類書とは一線を画す本書の最大\nの特色かつ魅力になっており、研究を志す者に、歴史学の研究とはこういうものであるということを考えさせてく\nれるものとなっている。\nまず、まえがきでは、本書の意図について、「日本とは異なる夫婦の関係性があったのではないだろうか。これ\nは私が中国の女性史・家族史を考えてみる、一つのきっかけとなった」(まえがきⅲ頁)と述べ、また、「もう一つ\nの焦点、史料の問題がある」(まえがきⅴ頁)、「歴史学には歴史学なりの面白さが山ほどあふれている。……史料\nを読み解く、いわば謎解きのような楽しさであり、そうしてそこから歴史像を組み立てる面白さである」(まえが\nきⅵ頁)と述べる。そして、「本書では……史料自身に語ってもらおうと思う。テーマはもちろん……女性にかか\nわる問題である」(まえがきⅶ頁)、「一応の結論は出しているが、まだまだわからないことだらけである。それを\n大澤正昭著『妻と娘の唐宋時代―史料に語らせよう』\n167\n研究し、新しい歴史像を作るのは、これから研究を始める人々である。とくに若い人たちの斬新な視点と熱意に、\n大いに期待している」(まえがきⅷ頁)と述べており、史料の読み解き方について解説しつつ伝統中国の女性にか\nかわる問題を語ることにより、主に若い読者に研究の面白さや研究への興味を感じてもらいたいという著者の意図\nが示されている。\nつぎに、序章「働く女たち―唐宋時代史料論も兼ねて」では、歴史学とは「偏った史料をどのように深く読\nみ、そこからいかに豊かな内容を汲み取ってゆくかである」(二頁)と述べ、史料を読み解く上で考えるべき、そ\nの背景と、史料からどのように女性にかかわる内容を読み解くかについて語られている。\nまず、一「唐宋時代の史料―その限界と可能性」では、「宋代の絵画・文献史料には明確なバイアスがかかっ\nていた」(一五頁)とし、北宋の都の開\nかい\n封\nほう\nを描いた『清明上河図』に女性が少ないのは「女性は家のなかにしかい\nないことにするという、画家の暗黙の了承」(六頁)があったため、「現実に女性が農作業に参加していたことは明\nらかであるにもかかわらず、宋代の絵画史料には描かれていなかった」(八頁)とする。\nまた、南宋時代の裁判関係文書集である『名公書判清明集』(以下『清明集』と略称)の「判決文類では家内・\n宗\nそう\n族\nぞく\n(男系の一族)内の訴訟が頻発していた。この状況を端的にいえば、当時は家父長制社会とされながらも、家\n族内部において家父長が女性を統制できていない現状があったことになる」(一四頁)と述べる。さらに、二「女\n性が従事する生業(1)―生業、家業一般について」では、顔真卿のエピソードを踏まえて、「『夫を棄てる』妻\nがいくらでもいたのだ。……夫がいなくても生活には困らなかったのである。……妻たちの自由さ、自立度の高さ\nがうかがえる」(二〇頁)と述べる。\nまた、三「女性が従事する生業(2)―女性の農業労働」では、「女性たちは……農業経営を分担していた」\n168\n(二七頁)とし、さらに、四「女性が従事する生業(3)―農家経営、商業と女性」では、「私たちは農家経営と\nいう生業が、……複合的なものであったことを視野に入れておく必要がある」(三三頁)と述べる。\nそして、おわりにでは、「史料の性格をおさえたうえで、それを深く読み込む作業の重要性と史料に隠された女\n性の生業の一端が明らかになったと思う。……史料批判の眼を養い、たえず問題意識を鍛錬することが、私たちに\n求められている」(三四頁)としている。\nまた、コラム1「『織おり女ひめ』のゆくえ―明清時代の農書にみる女性の労働」では、農書の内容を紹介しながら、\n「男性中心の農業社会とはいえ、女性労働の意義はもはや隠しようもなかった」(四一頁)と指摘している。\nさらに、1章「女が三度も結婚するとは!―南宋の裁判記録から」では、「中国史上の女性たちには、いわば\n〈活躍〉と〈抑圧〉の相反する二つの顔があった。……彼女らの多くはいわゆる漢民族の女性として理解されてお\nり、民族や文化の違いから説明するのは困難である。……この二重人格的な『女性』の本質はいったいどこにある\nのだろう」(四七頁)と述べ、以下で女性のもつ二つの性格の背景について考察している。\nまず、一「再婚する女たち」では、『清明集』の分析を踏まえて、「一般社会における離婚・再婚の現実、そこに\n垣間見える女性たちの自己主張」(五五頁)の存在を示し、二「唐代の離婚と再婚」では「妻主導の離婚が通常の\n事態だった」(五八頁)とし、さらに、三「宋代の女性の位置」では「南宋が男性原理の時代であることはいうま\nでもないことだが、女性の存在をまったく無視するような時代でもなかった」(六六頁)と指摘する。\nそして、おわりにでは「彼女たちは決して抑圧されただけの存在ではなかった。差別されていたのは間違いない\nが、さまざまな手段で自己主張を展開していた。……遅くとも唐代以降、中国は女性の『力』が強い社会が続いて\nいた。『力』の内容は一概にいえないが、発言力・行動力・生活力などをあげることができる。これに対して、男\n大澤正昭著『妻と娘の唐宋時代―史料に語らせよう』\n169\n性原理によって造りあげられてきたさまざまな〈装置〉が圧力を加えていた。国家権力・統治制度・儒教思想、そ\nの他であり、……こうした圧力は北宋以後、一段と強められる。そしてその成果が明瞭に見え始めたのが南宋時代\nである。しかし、女性たちの抵抗は根強く、完全な制圧など望むべくもなかった……抑圧と闘わねばならなかった\n女性の強さこそが中国女性の『顔』なのである。……『清明集』の女たちの延長線上に、則天武后も西太后もその\n座を占めていた」(六八~六九頁)と述べる。\nなお、コラム2「夫は『痴ア愚ホ 』か―社会史研究 はじめの一歩」では「父系制の原則が国家の指導方針であっ\nたが、一般人にはこれを遵守しない者がかなりいた」(七二頁)とし、妻からの離婚請求に関する史料についての\n大学院ゼミでの議論を紹介し、実は夫に知的障碍があったからという可能性も見えてきたことなどを述べ、ゼミで\nの議論で研究が深められてゆく過程が示されている。\nまた、コラム3「中国映画の『黄金時代』」では、著者が「映画から得られた情報は、中国史を考える上でも大\nいに役に立った」(八二頁)と感じたことを踏まえ、学生の興味を喚起する目的で行ったゼミでの中国映画の紹介\nについて書かれている。その中では、「素直におもしろいと思った映画ではどれも女性が活躍していただけなので\nある。……現代中国の女性を取り巻く問題に、私たちの歴史学はどのように応えていけばよいのであろうか。私の\n重要な問題意識である」(八七頁)とも述べている。\nさらに、2章「無能な夫を持つ妻は……―『袁氏世範』の女性観」では、南宋の地方官をつとめた袁\nえん\n采\nさい\nが子孫\nのために書いた家訓である『袁氏世範』を用いて、〈活躍〉していた女性像について述べている。まず、一「『袁氏\n世範』について」では、「彼が見つけ出した第一の方策は、家族や同族内ではとにかく争わず、和を保つことで\nあった」(九七頁)と述べ、袁采は「当時の社会で起こっていたさまざまな事実を冷静に見据えることによって、\n170\nいくつもの教訓を引き出すことができた……そこには当時の社会の実態がリアルに描き出されて」(九八頁)いた\nとする。\nそして、二「袁采は『第一個女性同情論者』?」では、「無能な夫や早死にした夫の例をあげ、その逆境を乗り\n越えて家を盛り立てた『賢婦人』がいる」(一〇三頁)とし、それを陳東原氏が「第一個女性同情論者」と評価し\nたことを紹介する。さらに、三「袁采の女性観」では、「袁采の女性観は単純ではない。……女性に対する差別が\n問題だなどと『同情』するはずもなかったのである。そのような発想はまさに近代の産物であった」(一〇八頁)\nとし、陳氏の評価は近代的な価値観からなされたものであると指摘する。\nまた、四「袁采の現実を見る眼」では、袁采が「何らかの事情で乳母にならざるを得なかった女性の悲惨な境遇\nを的確に認識し、彼女らを救い出せない『国家の法令』の欠陥を指摘」(一一二頁)しているとし、おわりにでは、\n袁采は「女性も含めた現実を客観的に冷静に見つめていた人物であったと評価すべき」(一一五頁)とする。\nなお、コラム4「『袁氏世範』の『超訳』に挑戦」では上智大学のコミュニティ・カレッジでの試みを紹介して\nいる。\nつぎに、3章「『酢を飲む』妻と恐妻家―唐宋時代の『小説』史料から」では、差別的認識の一つである「嫉\n妬深い」=「焼餅焼き」を手がかりにして婚姻関係における妻の地位について小説史料を用いて考えている。\nまず、一「『太平広記』にみる家族および妻と母」では、「家族のあり方は唐代から宋代に至る間にかなり変化し\nた。一夫一婦の関係が強くなり、そうして小家族としてのまとまりが明確になった。……唐代以前の家族は宗族と\nいう父系親族のなかに埋もれる傾向が強く、宗族の秩序が優先され、個別の家族はその傘の下にあった。婚姻関係\nを例とした場合、個人の自由な恋愛、家族内での話し合いなど望むべくもなく、結婚は宗族内で決められた……こ\n大澤正昭著『妻と娘の唐宋時代―史料に語らせよう』\n171\nの傾向はとくに上流階層で顕著にみられた」(一三五頁)と述べる。また、「唐代の夫婦関係はまだ弱かった。それ\nが弱いということは、つまり妻の立場が弱いということをも意味していた。そうして妻は嫉妬を武器として、自分\nの地位を確保すべく闘わざるを得なかった」(一四五頁)としている。\nそして、二「『夷堅志』にみる家族および妻」では、「唐代までの家族像が史料に現れないのとは異なって、『夷\n堅志』には庶民の小家族の姿が描かれている。それは夫婦と子供からなる四~五人家族である」(一四六頁)、「上\n流階層に顕著だった宗族的つながりが後退し、その傘の下にいた小家族の自立度が高まった」(一五四頁)とし、\n「男たち主体の国家や社会は、宗教的権威まで動員して妻を抑えつけようとしていた。妻にかかる圧力の強大化は\n驚くべきである。これが唐代と宋代の大きな違いであった」(一五七頁)としている。\nまた、「唐代までは〈一夫一妻多妾〉制であった関係が徐々に〈一夫一妻プラス多妾〉制へと変化して、一夫一\n妻の関係が強まっていった。ただここで『多妾』とはいうものの、複数の妾を抱えている男性は、史料上あまりみ\nかけない。妻の闘いは続いていたのであろう」(一五八頁)と指摘する。そして、おわりにでは、「かつての強い妻\nたちは家のなかに閉じ込められながらも、可能な限りの抵抗を続けていた」(一五九頁)と述べる。\nさらに、4章「女親ボ\n分ス\nもいた―南宋豪民の実態」では、「生業」を維持していた女性の活躍の場の一つの例と\nして、『清明集』に書かれている、寡婦がリーダーとなっていた豪民集団について紹介している。また、豪民とは\n「農村、都市を問わず基層社会に影響力を持って活動していた有力者である」(一六二頁)と説明している。\nまず、一「判決文に記された豪民」では、「中国の家父長制は……父の死後は、息子がいても妻がその地位を継\nぎ、その死後に初めて息子に引き継がれるのである。父であれ母であれ、息子は親に孝養を尽くさねばならなかっ\nた。つまり男性による権力の継承が絶対の原則ではなかった」(一六五頁)とし、また、判決文に出てくる「官氏\n172\n一族は官八七嫂を女親分とし、息子や姻族が従う、いわば家族経営であった」(一六八頁)と述べる。\nさらに、二「豪民の経済的活動」では「塩・紙・鉄・石炭は当時の重要な流通物質である……官氏一族はその流\n通に目をつけ、通行税を徴収していた」(一七五頁)とし、また、三「豪民の地域支配」では「宋代には村落共同\n体は存在しておらず、……紛争解決のための第三者として登場するのが宋朝政府であり、基層社会の有力者=豪民\nであった。……地域社会に生きる人びとは直に接する相手がどれだけ強力か、どれだけ権威を持っているかをシビ\nアにみていた。……豪民が選択される場合もあった。彼らの主宰する裁判が私的なものであったとしても、地域の\n人びとはこれを受け入れていた」(一七八頁)と指摘する。\nそしておわりにでは、南宋の豪民の性格についてまとめ、「豪民は経済・司法の両分野を二本柱として活動して\nいた。……彼らはまさに唐から宋への変革期に登場してきた有力者であった。……基層社会では大小さまざまな豪\n民勢力が活動し、庶民は彼らと宋朝の両者と関係を保ちながら生きていた」(一八七頁)とし、著書の主題と関連\nさせて「豪民の活動も寡婦の生業の選択肢の一つであった」(一八八頁)と指摘する。\nつぎに、5章「娘たちに遺産はいらない?―女性に関わる『法』と現実」では、「女性は抑圧され、飼いなら\nされていたのではなく、社会の原理・原則とは関わりなく、みずからの意思で活動していた。それが男性を動か\nし、社会を動かす力になることもあった。……こうした社会の歴史段階を原理・原則の視点、つまり法的側面から\n考えてみる」(一九一頁)と述べ、「女子分法」と呼ばれる、『清明集』に出てくる女性財産権を示す記述をめぐる\n議論を紹介している。\nまず、一「男性原理の法」では、中国家族法の原理について論じた滋賀秀三氏は「娘は『気』の継承者ではない\nとされ、成人した後に他家に稼ぐ者であり、財産の相続に関わることはない」(一九四頁)と指摘しているが、そ\n大澤正昭著『妻と娘の唐宋時代―史料に語らせよう』\n173\nれは明清時代に定着した「原理」であり、宋代など現実の社会ではこの原理に適合しない事例があることが明らか\nになってきたとする。そして、唐代の律令の規定については、「家父長の権利はかなり大きかったものの、専断は\n認められていなかった。息子や親族および国家の承認が求められていた」(一九九頁)と述べ、「夫は妻を追い出す\nことができるとはいえ、そのハードルは高かった。妻の離縁は容易なことではなかった」(二〇二頁)とする。\nさらに、二「女性の財産権に関わる法」では「女性と財産をめぐる法では、女性の継承分が明確に承認されてい\nた一方で、女性の取り分だけが限定されてゆく方向にあった。その背景には原理を反映した法の厳密な実施を求め\nる官僚たちの思惑と基層社会において無視できない女性たちの抵抗があった」(二〇九頁)と述べる。\nまた、三「『女子分法』をめぐって」では、「女性の自己主張の風潮は、宋代の遺産継承の際にも存分に発動され\nた……遺産をめぐる訴訟が頻発すれば、地方官たちはいちいち対応せざるを得ない。彼らは男性原理と折り合いを\nつけるべく、何らかの解決策を模索せねばならなかった。こうして……『女子分法』が単行法令として法文化され\nたのではないだろうか」(二二〇頁)と「女子分法」の背景について考察する。\nそして、「『女子分法』が存在したという事実は、国家と庶民のせめぎあいの結果である。……こののち女性の自\n己主張はさらに抑圧されてゆく。何よりも国家の法が整備され、……朱子学などの道徳規範も浸透していった。こ\nうして南宋の『女子分法』が生き延びる道は閉ざされ、わずかに『清明集』の判決文にその痕跡をとどめるだけの\n状況になった」(二二一頁)と述べる。そして、おわりにでは、「中国は男性原理の社会といわれながらも、唐宋時\n代の法には女性の存在が濃い影を落としていた」(二二二頁)と指摘している。\nそして、終章「唐宋時代は何人家族?―史料から数値を読み取る」では、「唐宋時代の妻や娘が生きていた舞\n台である家族を、その規模という視点から考えてみたい。……文献史料から家族を構成する人数などの数値をどう\n174\n読み取るのか、その方法をも紹介することとしたい」(二二八頁)と述べ、家族の規模について考察している。\nまず、一「家族規模に関する史料」では、敦煌文書や正史といった史料の性格を述べ、それらでは人口の実態や\n家族規模は容易に把握しがたいため、小説史料にこだわってみたいと述べている。そして、二「唐代の家族規模」\nでは「唐代の小説史料に現れた家族規模は、おおまかにいえば上流階層は五人家族で子供が三人(男二人、女一\n人)であり、庶民階層は三~四人家族で子供が二人(男一~二人、女〇~一人)であった」(二四四~二四六頁)\nとする。\nまた、三「宋代の家族規模」では「唐代から宋代に時間が経過するにともなって女児の割合がほぼ半分になっ\nた」(二四八頁)と女児の減少化現象について述べ、四「『溺女』あるいは産児制限の方法」では、その背景につい\nて考察し、「嬰児とくに女児殺しがおこなわれており、為政者たちはこの習俗をなくしたいと考えていた。しかし\nこの習俗は根強く……宋代の社会でも実際に女児の数は少なかったと考えられ」る(二五四~二五五頁)と述べ、\n溺女が背景にあったことを指摘する。\nそして、おわりにでは、男女比のアンバランスが独身男性の多さ、嫁不足を引き起こし、それが明清時代になる\nとさらに明瞭になり、それを大きな要因として、妻を売り(売妻)、貸し出し(租妻)、あるいは質に入れる(典\n妻)慣習が広がっていたとし、女性は差別されながらも希少価値があったがゆえに「離婚・再婚を繰り返す女性が\nこの必要性を一つの背景にして自己主張していた」(二五七頁)と述べている。\nそして、「結びに代えて」では、本論部分をまとめ、妻たちを支えたものについて、「妻たちには、一人でも生き\nていける拠り所―個人の能力のほかに、生業、商業などの物流関係、『妻族』『妻家』、社会的評価などがあった。\nこれは娘たちにも継承される」(二六〇頁)とし、「以上は上流階層の妻たちが主人公である場合が多かった。……\n大澤正昭著『妻と娘の唐宋時代―史料に語らせよう』\n175\n庶民階層の妻は……たとえば農家経営の一翼を担う彼女らの役割は農業においても副業においても、無視できない\nものとなっていた。……女性人口の少なさ……は彼女らの存在意義を増す方向に結びつくであろう。これらが庶民\nの妻の強さの背景にあったと考えられる。このように妻や娘たちは、歴史の経過とともに強まる差別や圧力に抵抗\nし、また妥協しつつ、したたかに生き抜く知恵を兼ね備えていったのではなかろうか」(二六一頁)と述べる。\nそして、「上流・庶民階層を問わず、女性の存在感は増していた。それは国家が定める法律にも現れていた」\n(二六一頁)とし、「婦\nつま\nは強かった」(二六二頁)と結論づけている。なお、最後に著者のコメントをそえた参考書\nの紹介による研究ガイドがついており、研究の世界へのいざないとなっている。\n以上、本書の要点を紹介してみたが、史料が読み解かれてゆく面白さは、やはり本書そのものを読まなければ味\nわうことはできない。読者の方々には、直に本書を手に取り、その面白さを実感してもらえれば幸いである。つぎ\nに評者が気になった点について少し述べてみたい。\nまず一点目は、明清時代の宗族と女性たちの関係性についてである。著者は、「宋代の家族は宗族などと距離が\nできていた……上流階層に顕著だった宗族的つながりが後退し、その傘の下にいた小家族の自立度が高まった」\n(一五四頁)、「かつての強い妻たちは家のなかに閉じ込められながらも、可能な限りの抵抗を続けていた」(一五九\n頁)と述べているが、宋代には新たに近世的な宗族の萌芽が見られ、それは明清時代に中国南方を中心に盛んに\nなったことが知られる。\n宋代以降は小家族の自立度が高まったとすると、近世的な宗族は自立度が高い小家族のネットワークのようなも\nのであったと考えられるが、その近世的な宗族が小家族の女性たちにどのように影響を与えていたのか、妻族とな\nる女性の実家の宗族との関係性はどのようになっていたのか、そして近世的な宗族の活動の特色と言える宗祠(祠\n176\n堂)という位牌を祀る施設における女性の扱いはどうなっていたのか、などの点が気になるところである。\n二点目は、則天武后(武則天)や西太后と漢民族の女性の関係性についてである。著者は「『清明集』の女たち\nの延長線上に、則天武后も西太后もその座を占めていた」(六九頁)と述べているが、唐の皇室は北方民族王朝の\n流れを受けており、また、清代の宮廷には、漢民族の生活文化とは異なる、女性を重視する薩\nシャ\n満\nマン\n文化の影響などが\n色濃くみられる(拙稿「清代の宮廷歳時とジェンダー」小浜正子・板橋暁子編『東アジアの家族とセクシュアリ\nティ―規範と逸脱』、京都大学学術出版会、二〇二二年参照)。彼女たちは漢民族社会を統治していた人物とし\nて、漢民族の「婦の強さ」の影響がみられると思われるが、やはり、北方民族と関係が深い王朝の宮廷については\n北方民族の文化の影響もあったように考えられる。漢民族の文化と北方民族の文化がこれらの王朝の宮廷の女性た\nちにどのような影響を与えていたのか、という点はやはり気になるところである。\n三点目は、清代の纏\nてん\n足\nそく\n文化と「婦の強さ」の関係性についてである。著者は、妻の強さの背景には彼女たちの生\n業が関係していると指摘しているが、清代の漢民族の女性の間で流行した纏足もその「強さ」に関係していたので\nはないかと思われる。纏足とは、足を布で縛って親指以外の足指を折り曲げて人為的に小さな足を作り上げる習俗\nである。纏足と言えば足そのものが注目されがちであるが、纏足の美の重点は足そのものより、弓\nきゅう\n鞋\nあい\nと呼ばれる\n纏足靴に包まれた外見の美しさにあった。\n清代には、纏足は上流階級の女性の象徴とされたため、女性たちが、よい結婚ができるようにと願い、自分の娘\nや孫娘の纏足づくりに熱を入れていた。さらには美しい纏足であることは家の名誉とも関係があり、より小さな纏\n足の妻を娶った男性は人々の羨望の的になっていた(拙稿「纏足」小浜正子編『ジェンダーの中国史』、勉誠出版、\n二〇一五年参照)。こうしたことを考えると、妻たちは纏足と言う女性にしか使うことができない手段により、「強\n大澤正昭著『妻と娘の唐宋時代―史料に語らせよう』\n177\nさ」(存在意義)を増すこともあったと思われる。\n以上、理解不足の点もあるように感じられるが、評者が気になる点について述べてみた。本書は大学生や一般の\n読者を学問の世界へと誘うことに主眼がおかれているものの、大学教育に携わる中国史研究者にとっても、学問と\nはどういうものなのか、そしてその学問の面白さや奥深さとはなにか、を再認識させてくれる内容になっている。\n中国社会史研究の裾野を広げるために、本書に刺激を受けて、様々な教育や出版の場において、その研究の魅力を\nより多くの人々に伝える作業に取り組むことが、評者も含めた中国社会史の研究者の課題となってくるのではない\nかと考えられる。 (東方書店、二〇二一年七月刊、二七九頁、二二〇〇円+税)\n【追記】本稿は、科研費基盤研究(B)「近世中国の募葬実地調査及び新出史料による家族とジェンダーの新研究」(代表者:佐々木\n愛・島根大学教授)の研究成果の一部である。"}]}, "item_30001_alternative_title1": {"attribute_name": "その他のタイトル", "attribute_value_mlt": [{"subitem_alternative_title": "Osawa Masaaki, “Wife and Daughter in the Tang and Song Dynasty”", "subitem_alternative_title_language": "en"}]}, "item_30001_bibliographic_information17": {"attribute_name": "書誌情報", "attribute_value_mlt": [{"bibliographicIssueDates": {"bibliographicIssueDate": "2024-03-20", "bibliographicIssueDateType": "Issued"}, "bibliographicPageEnd": "177", "bibliographicPageStart": "165", "bibliographicVolumeNumber": "28", "bibliographic_titles": [{"bibliographic_title": "国士舘史学", "bibliographic_titleLang": "ja"}, {"bibliographic_title": "Kokushikan shigaku", "bibliographic_titleLang": "en"}]}]}, "item_30001_creator2": {"attribute_name": "作成者", "attribute_type": "creator", "attribute_value_mlt": [{"creatorAffiliations": [{"affiliationNameIdentifiers": 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大澤正昭著『妻と娘の唐宋時代――史料に語らせよう』
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名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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本文
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Item type | 雑誌記事(1) | |||||||||||
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公開日 | 2024-04-13 | |||||||||||
タイトル | ||||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
タイトル | 大澤正昭著『妻と娘の唐宋時代――史料に語らせよう』 | |||||||||||
その他のタイトル | ||||||||||||
その他のタイトル | Osawa Masaaki, “Wife and Daughter in the Tang and Song Dynasty” | |||||||||||
言語 | en | |||||||||||
見出し | ||||||||||||
大見出し | 書評 | |||||||||||
言語 | ||||||||||||
jpn | ||||||||||||
作成者 |
小川, 快之
× 小川, 快之
WEKO
26112
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キーワード | ||||||||||||
歴史学入門, 中国社会史, 中国女性史, 中国家族史, 唐宋時代 | ||||||||||||
関連情報 | ||||||||||||
関連タイプ | references | |||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
関連名称 | 大澤正昭著『妻と娘の唐宋時代―史料に語らせよう』 | |||||||||||
書誌情報 |
ja : 国士舘史学 en : Kokushikan shigaku 巻 28, p. 165-177, 発行日 2024-03-20 |
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出版者 | ||||||||||||
言語 | ja | |||||||||||
出版者 | 国士舘大学史学会 | |||||||||||
NCID | ||||||||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||||||||
収録物識別子 | AN10466645 | |||||||||||
注記 | ||||||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||||||
内容記述 | 本稿は、科研費基盤研究(B)「近世中国の募葬実地調査及び新出史料による家族とジェンダーの新研究」(代表者:佐々木愛・島根大学教授)の研究成果の一部である。 | |||||||||||
資源タイプ | ||||||||||||
資源タイプ識別子(シンプル) | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||||
資源タイプ(シンプル) | departmental bulletin paper | |||||||||||
出版タイプ | ||||||||||||
出版タイプ | VoR | |||||||||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 |