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Audenは、IagoのDesdemonaへの横恋慕について、「劇中でIagoがDesdemonaを誘惑しようと試みることはない。」と指摘している。(249)このような先行研究の指摘をみると、一幕三場のIagoの説明的な独白について言った、「動機なき悪事の動機探し」というSamuel Taylor Coleridgeの有名な言葉は、Iagoの動機付けの不可解さを端的に言い表していると言えるだろう。(Hawkes171)\nShakespeareのOthelloはGiraldiCinthio作GliHecatommithiを主な材源としているが、この材源ではShakespeareのIagoに当たる人物である旗手に、Disdemona(ShakespeareのOthelloではDesdemona)へのかなわぬ愛という明確な動機が与えられている。つまりShakespeareは、GliHecatommithiのストーリーの大部分をそのまま採用しながらも、旗手の明確な動機付けをIagoの不可解な動機(あるいは無動機)へと、あえてつくり変えるということをしている。また、最終幕のOthelloの「私の心と身体を何故罠にかけたのか」とIagoに尋ねるせりふは、Othelloだけでなく観客の疑問も反映していると考えられるが、ShakespeareはIagoに、「俺に何も聞くな。お前がわかっていることがわかっていることだ。これから俺は何も話さないぞ。」と答えさせることで、Othelloだけでなく、Iagoの動機を知りたいという観客の期待をも裏切り、Iagoの動機の不可解さを強く印象づけている。そもそも先行研究において、Iagoの動機をめぐる解釈には大きく二つの方向性がある。一つは、Iagoの悪事には合理的な動機があるとする考え方である。Iagoが自ら主張する動機をそのまま彼の悪事の動機として受け取るべきだと主張する、あるいは、直接的な言及はないもののIagoの行動の裏に潜在的に存在する動機をテキストから読み取ろうとする研究がここに含まれる。Iagoの動機をめぐるもう一つの解釈は、Iagoが口にする動機を感情の裏付けがないと考えて否定し、Iagoは悪魔そのものであり、Iagoの悪事には合理的な理由などないとする考え方である。しかし後者の中にも、後で紹介するBernardSpivackやMichael E. Mooneyのように、Iagoの行動は合理的に説明できない悪への衝動という寓意性と、悪事の理由を自ら説明しようと言葉をつくす人間性の両方を伴うと考える研究者も多い。Iagoの動機付けの不可解さはいまだ決定的な解釈が存在しないOthello最大の謎であり、時にこの作品の魅力の一つでもある。言い換えると、Iagoの動機をめぐる謎を議論することはすなわち、劇作品としてのOthelloの秀逸さの秘密を探ることでもある。国内外の上演史は、演出家や俳優がIagoの動機をどのように解釈するかによって、上演された作品全体の印象がまったく異なることを明らかにしている。また、先行する作品研究においても、Iagoの動機についての解釈が作品全体の解釈に多大な影響を与えていることがわかる。本稿ではIagoの動機をめぐる解釈に、Iagoによる「感情の模倣」という新たな視点を加えることを試みたい。これはA.D. Nuttallの解釈にヒントを得たものである。NuttallはIagoの動機をめぐる議論において、「Iagoは本当でない話を本当のように扱い、その結果自身の激しい感情を引き起こすことに成功しているが、そのような感情はフィクションにすぎない」と断じている。(282)このNuttallの解釈を踏まえ、私はさらに次のように主張したい。\nIagoの感情は他の登場人物達の感情を鏡のように映し出し、模倣したものであり、さらにメタシアター的に言えば、この劇を観る観客の感情も映し出している。他人の感情を模倣した感情は真に自分の感情ではないゆえに実体を持たない感情であるともいえるが、偽りの感情ではあってもその存在を否定することはできない。先に述べたように、Iagoの悪事の動機を感情の裏付けがないと考えて否定する研究者の多くは、中世道徳劇のViceの伝統という視点からIagoの動機(無動機)を論じることが多かった。Iagoは確かに道徳劇のViceの伝統を受け継いでいる。しかし、彼の悪事の動機に限って言えば、「存在そのものが悪であるため理由なく悪を行う」というVice的な寓意性だけではとらえきれない側面がある。そのことを明らかにするために、まずはIagoと道徳劇のViceの類似点と相違点についてみておきたい。\n1.憲を体現するViceの伝統とIagoIagoは、しばしば、中世道徳劇に登場する寓意的なキャラクター、Viceと重ね合わせて論じられる。道徳劇のViceは悪徳を体現し、人間を欺き、観客に親しく話しかけ、彼の悪事の被害者を嘲笑する。このような行動は、Iagoにも顕著に見られるものである。さらにViceは、独白や傍白を通じて彼の悪事の計画を観客に伝えるという特徴もあるが、Iagoも同じようにふるまう姿が見られる。\nIAGO. Caassssii o\u0027s ap roper man: let mes ee now,\nTo get his place, and to plume up my will\nIn double knavery. How? How? let\u0027s see:\nAfter some time to abuse Othello・ s ear\nThat he is too familiar with his wife.\nHe hath a person and a smooth dispose\nTo be suspected, framed to m血wom皿false.\nThe Moor is of a free and open nature\nThat thinks men honest that but seem to be so,\nAnd will as tenderly be led by th\u0027nose\nAs asses are.(1.3.391-401)\nIagoは、この独白で観客に打ち明けた通りに彼の邪悪な計画を実行に移し、Cassioから\nOthelloの副官という地位を奪うことに成功する。Iagoはまた、最終幕で彼の悪事が公になった後にも不遜な態度を崩さず、その姿も道徳劇のViceを初彿とさせる。このようにIagoには、Viceの典型的な特徴がいくつも見られるが、IagoというキャラクターをViceの特徴を受け継ぐ悪党という観点から考える批評家たちは、彼の動機のあいまいさこそ、彼がViceから受け継いだ最も注目すべき特徴であると考える。Iagoが悪事を行う動機を自ら説明する独白は、「言葉としての存在感」はあるが、「より深い部分でのあいまいさが、Iagoが口にする動機をひとつひとつ無効にし、それらすべてを劇中の彼の個性と行動からかけ離れたものにしている」(7) というBernardSpivackの指摘は、多くの批評家の印象を代表するものであろう。Spivackはこれを、ShakespeareがIagoを、道徳劇のViceが持つ寓意性とViceにはない心理性を併せ持つキャラクターとして造形したゆえであると論じている。Spivackの考えでは、OthelloとCassioに対するIagoの悪意は、心理的な説明を持たず、また適切な感情も伴わない、道徳劇のViceが体現するような善なる存在への「寓意的な」憎しみである。同じように考える批評家は珍しくない。例えばElmerEdgar Stollは、「表面的な人間性の下で、Iagoは悪魔以外の何物でもない」と指摘し、「不十分な動機の集積ゃ、彼の疑惑の不確かさと根拠の薄弱さは、IagoのH的が悪魔的であることを示している」と主張している。(232、234)\nIagoは心理性と寓意性を併せ持つキャラクターであると考えるSpivackにとって、次に引用するIagoの言葉は、彼の二面性を端的に表すものである。\n…Ih ate the Moor;\nAnd it is thought abroad that\u0027twixt my sheets\nHe\u0027s done my office.\n(1.3.385-7, italics mine)\nSpivackによれば、この、And\u0027は、「寓意の劇と自然の劇の継ぎ目である」。(448)Spivack同様、Iagoが心理的なキャラクターでありながら伝統的な道徳劇に登場するVice的キャラクターでもあると考えるMichaelE. Mooneyは、IagoのViceとしての人格は、観客に彼の視点を共有しながら彼の悪事を楽しむことを促し、一方でIagoの心理的人格は、「彼を観客から引き離し、彼の動機を検証させる」と指摘している。(118-119)2さらにMooneyは、「Iagoが開幕の独白で挙げるOthelloを嫌う理由は正当なものと思えるが、2幕3場の独白のすぐ後には、Cassioから副官の地位を奪うというH的が達成されつつあるにもかかわらず、Iagoは今や悪そのもののために悪を行い、そのことはIagoの非人間的なViceの人格を反映している」とも主張している。(119)私は、ShakespeareがViceの伝統を受け継ぐキャラクターとしてIagoを造形しながらViceにはない心理性も与えているという考えには同意する。しかし悪事を行うIagoが、Vice的な善きものへの憎しみや悪そのものを楽しむ気持ち以外の動機をもたないという意見には賛成できない。なぜならIagoの内面には、善に対するVice的な憎しみや悪そのものを楽しむ気持ちだけでは説明しきれない、不可解な「空虚さ」が存在しているからである。実際先行研究において、Iagoが抱える「空虚さ」に注目し、それをIagoのキャラクター造形の最も重要な特徴と論じているものが珍しくない。例えばBarbaraEverettは、Iagoを、「空虚な目をしており、内面を完全に欠いた人物がゆえに、(表面上は)比類なき活力のかたまり」であると指摘している。(192)またすでに紹介したように、A.D. Nuttallは、「Iagoが間違っているであろう話をまるで真実であるかのように扱うのは、Iagoの生来の空虚さを暗示しており、Iagoは自身が内面に抱える空虚さを知りながら、それを演技で満たそうとしている」と論じている。しかし同時に、\u0027gnawmy inwards\u00273というIagoの言葉に彼の嘘偽りのない感情を感じ取ったNuttallは、「Iagoは自分自身に激しい感情を引き起こすことに成功しているが、それは完全に作り物の感情である」とも指摘している。(282)\nNuttallがIagoの感情を作り物であると指摘し、Iagoは己の空虚さを演技で満たそうとしていると断じていることは、的を射た指摘に思われる。演劇において独白で話す内容は話し手の本心であるというルールがある以上、Iagoが主張する動機をまったくの嘘であると否定することはできない。しかし一方で、多くの研究者が指摘するように、Iagoの感情にはそれが確かに存在していると確信できるような実体が感じられない。何故このような矛盾が起こるのか考えた時、Nuttallが指摘するIagoの演技性は一つの答えを与えてくれる。本稿ではこのIagoの演技性を、Iagoによる「感情の模倣」として考えてみたい。\n2. Iagoによる感情の模倣\n先行研究ではしばしば異人種間結婚に対する嫌悪感が、IagoがOthelloを嫌う潜在的な動機の一つであるとみなされている。確かにこの作品では、OthelloとDesdemona、あるいはOthelloと他の登場人物達との人種的な違いが強調されている。この作品の材原であるGliHecatommithiではMoor(ShakespeareのOthelloにあたる主人公)の肌の色について特に言及がないことを考慮すると、白人社会でのOthelloの異質性や、Desdemonaとの結婚が異人種間結婚であることを強調したのはShakespeare独自のアイデアであったと考えられる。MoorであるOthelloの異質性は第一幕から強調されている。OthelloとDesdemonaの異人種間結婚を軸にストーリーが展開する第一幕で、Shakespeareは次のようなセリフで、黒人男性と白人女性の性的な交わりを動物的な荒々しいイメージで描き出している。\nan old black ram IIs topping your white ewe・ (1.1.87-8)\n\u0027your daughter covered with a Barbary horse\u0027(1.1.110)\nYour daughter and the Moor are now making the beast with two backs(1.1.114-15)\nこのようなIagoのセリフは、DesdemonaがOthelloと結ばれることを恐れるBrabantioの気持ちを大いに刺激する。またここで言語的に表出された異種族混交のイメージは、最終幕で、舞台上に視覚的に提示されることになる。今西雅章はその著『シェイクスピア劇と図像学』において、Shakespeare作品の視覚表象を分析し、以下のように述べている。「ときには、登場人物のアクションが、ステージ上で静止した状態になることがある。そのとき中世後期からルネサンスのヨーロッパ各地で見られていた人間が人形のように無言でさまざまな姿勢のまま静止している「活人画(タブロー・ヴイヴァン)」に近い劇表現になる。…シェイクスピアは、舞台図像の視覚的効果を十分に心得ていたとみえ、クライマックスのシーンや最終景などここぞという場面で、このような静止した図像的(iconic,emblematic)なシーンをさりげなく創出している。」(48)\n今西はShakespeare劇に見られる図像的なシーンの例として、KingLearの最終幕やHamletの最終幕を紹介しているが、Othelloの最終幕もまた、効果的なステージ・タブローの一例と考えることができるだろう。初夜の寝床で黒人・Othello が白人•Desdemona の首を絞めて殺害するという、非常に衝撃的かつ絵画的な構図は、Othelloの残酷さを強調するとともに、Shakespeare時代の観客が自覚的あるいは潜在的にもつ異人種間結婚への嫌悪感を大いに刺激したと推測できる。重要なのは、OthelloとDesdemonaの結婚を動物的なイメージで描き出すIagoのセリフや、絵画的であるがゆえになおさら衝撃的な最終幕のステージ・タブローがあぶりだすのは、Iago以外の登場人物と当時の観客の心に潜む異人種混交への嫌悪感であって、Iago自身の感情ではないということである。一幕ー場でIagoがOthelloとDesdemonaの関係を牡馬と雌馬の交わりに例えた時、一見そのセリフはIago自身の異人種間結婚への嫌悪感を示唆しているように思える。しかしこのセリフでBrabantioの怒りと嫌悪をあおるIagoは冷静で、興奮している様子は見られない。Iagoのセリフや彼が演出した最終幕の悲劇的なステージ・タブローは、Brabantioや観客の感情を映し出す鏡のようなものである。そしてIagoは他人の感情を自分も共有しているように見せかけているにすぎない。妻Emiliaへの嫉妬という動機についても、同じように考えることができる。すでに述べたように、Iagoが本当にEmiliaとOthelloの仲を疑い嫉妬しているとは思えないと主張する研究者は少なくない。確かに、EmiliaとOthelloが不倫関係にないことは明白であり、嫉妬に苦しむOthelloの姿と比較しても、Iagoが同じように嫉妬にとらわれて行動しているとはとても考えられない。Iagoの言葉には、Othelloほどの熱が感じられないのである。しかし一方で、IagoがEmiliaの不貞を疑い嫉妬していることを暗示的に示す仕掛けが劇中に施されているのも事実である。例えば次のEmiliaのセリフは、Iagoが彼女の貞節を疑っていたことを観客に伝えるセリフである。\n0 fie upon them! Some such squire he was\nThat turned your wit the seamy side without\nAnd made you to suspect me with the Moor. (4.2.147-9)\n一幕三場と二幕ー場の独白を除いて、Iagoが彼の疑惑にあからさまに言及することはないが、例えば二幕ー場には、Emiliaの好色さをほのめかす次のようなセリフが見られる。\nCome on, come on, you are pictures out of doors,\nBells in your parlours, wild-cats in your kitchens,\nSaints in your injuries, devils being offended,\nPlayers in your housewifery, and housewives in…\nYourbeds! (2.1. 109-13)\nYou rise to play, and go to bed to work. (2.1.115)\nさらに三幕三場では、EmiliaがDesdemonaのハンカチを指して言った\u0027athing\u0027 という単語の意味をIagoはわざと曲解し、Emiliaがふしだらで誰とでも寝ると椰楡している。\nEmilia. Don ot you chide, Ih ave at hing for you -\nIago. You have a thing for me? it is a common thing -\nEmilia. Ha? (3.3.305-7)\nShakespeareはこのようにIagoとEmiliaのセリフを使ってIagoの嫉妬心を暗示するだけでなく、劇全体、特に最終幕において、IagoとOthello及びEmiliaとDesdemonaのイメージをそれぞれ重ね合わせることで、IagoとOthelloが同じ気持ち、すなわち妻への嫉妬心に苦しんでいると観客に暗示する仕掛けを施している。Shakespeareは二幕ー場でまずEmiliaとDesdemonaのイメージを重ね合わせている。二人は同じようにCassioからのキスを手に受けるが、あくまで礼儀としてのキスであって、性的な意味合いが含まれていないのは明白である。そして三幕三場では、今度はOthelloと外国語外国文化研究第32号Iagoのイメージが重ね合わされている。ここでIagoとOthelloは並んでひざまずき、CassioとDesdemonaを殺害することを誓っているのである。さらに三幕三場で、ShakespeareはOthelloとDesdemonaの会話の直後にIagoとEmiliaの同じようなやり取りを続けることでも、二組の夫婦のイメージを重ね合わせようとしている。ここでOthelloは、寝取られ男の額には角が生えるという言い伝えを踏まえて、「額が痛い」とDesdemonaに訴えている。これはつまり、Desdemonaの不貞を暗に非難していることになる。そしてその直後のIagoとEmiliaの会話が、先に言及した\u0027athing\u0027 という言葉をめぐるやり取りであり、今度はIagoが、Emiliaの不貞を婉曲的に非難している。最終幕でShakespeareはさらに明確にDesdemonaとEmiliaを重ね合わせている。EmiliaがIagoの邪悪な行為を暴露した時、Iagoは彼女を「売女! (whore)」と言ってののしる。四幕二場以降、Othelloも繰り返しDesdemonaを「売女(whoreあるいはstrumpet)」と呼び、五幕二場でDesdemonaを殺害した後にも「彼女は淫売だった(shewas a whore)」と断言している。同じような言葉で夫にののしられるという点でもEmiliaとDesdemonaのイメージが意図的に重ねあわされていると言えるだろう。さらにフォリオ版ではEmiliaが柳の歌を歌いながら死んでゆくが、この歌はOthelloに殺される前にDesdemonaが歌っていた歌でもある。死の直前に同じ歌を歌わせるという趣向でも、ShakespeareはEmiliaとDesdemonaを重ね合わせて描いていることになる。このようにShakespeareは、二組の夫婦のイメージを重ね合わせ、IagoとOthelloをどちらも妻の不貞を疑う男として並立させているが、それは二人が同じ感情、すなわち妻への嫉妬心を抱いていることを暗示することでもある。E.A. J. Honigmannは、「OthelloとIagoはいくつかの点で正反対、あるいは相補的な関係であるが、しかしそれでもエルザベス朝の人々は彼らが不思議なくらい似ていると考えていただろう」と推測しているが(33)、OthelloとIagoの共通点の一つが妻への嫉妬心である。他人の感情を自分も共有しているように見せかけながら、その背後にあるべき熱を感じさせないIagoは、まるで周りの人間の感情を映し出す鏡のような存在である。このように考えるとIagoが話す動機はすべて、彼の周りの人間の感情を鏡のように映し出し、模倣しているにすぎないと気が付く。妻への嫉妬はOthelloの感情であり、Desdemonaへの横恋慕はRoderigoの感情である。昇進できなかったことへの鬱屈は、降格されたCassioの嘆きと重なる。さらに、Desdemonaが異人種であるOthelloと結婚することに対する嫌悪感は、Desdemonaの父Brabantioだけでなく、Shakespeare時代の観客も共有する感情である。Iagoはこのような自分以外の人物の感情を自分の感情であるかのように装っていると考えられる。劇作家の立場から考えると、役の感情を演じる役者とIagoを重ね合わせるメタシアター的な趣向でもある。しかし、真にその感情にとらわれている他の登場人物達と比べると、Iagoの感情には彼らほどの熱量がないことは明白である。破滅に追い込まれるほどのOthelloの激しい嫉妬心と比べると、Iagoの嫉妬は言葉も態度も軽い。あるいは、Desdemonaに恋焦がれるRoderigoが何とかDesdemonaに近づこうとするそばで、同じくDesdemonaに横恋慕しているはずのIagoが積極的にDesdemonaにアプローチしていないとなると、観客がIagoの気持ちを疑いたくなるのも無理はない。このように、周りの登場人物達の感情を模倣しているIagoは、真にその感情にとらわれている彼らと比較され、彼らと同じ熱意がIagoの内面には見られないと見抜かれる。これが、Iagoの感情は実体を持たない、その内面は空虚であると指摘される理由ではないだろうか。*本稿は、 2015年京都大学に提出した博士論文 TheTradition of the Vice and Shakespeare sVi llains in HisTragediesの第三章に大幅に加筆・修正を施したものである。博士論文でも、Iagoは鏡のように他の登場人物達の感情を映し出していると指摘したが、本稿ではそれをさらに発展させて議論している。\n註\nl Othelloからの引用はすべて、ArdenShakespeare (ed. E. A. J. Honigmann)による。\n2 Peter Hollandも、IagoのVice的な側面と心理的な性格造形について、観客との関係性からMooneyと同様の分析を行っている。(130)\n3\u0027Fort hat Id o suspect the lusty Moor/ Hath leaped into mys eat, the thought whereof/ Doth like ap oisonous\nmineral gnaw my inwards…(2.l.293)\n4 この点についてSpivackは、「Shakespeareは独白の最も基本的な機能をゆがめている」と考えている。\n(25)同じくBarbaraEverettも、Iagoの独白を「奇妙な見せかけの独白」であると断じている。(192)\n参罵文献\nAuden, W. H. The Dyers Hand and Other Essays. New York: Random House, 1948. Print.Everett, Barbara.\n\"Inside Othello.\" Shakespeare Survey 53 (2000): 184-195. Print.\nEverett, Barbara. \"Inside Othello,\" Shakespeare Survey 53(2000):184-195. Print\nHawkes, Terence, ed. Coleridges Writings on Shakespeare. New York: Capricorn Books, 1959. Print.\nHolland, Peter. \"The Resources of Characterization in Othello.\" Shakespeare Survey 41 (1989): 119-132. Print.\nMooney, Michael E. Shakespeares Dramatic Transactions. Durham: Duke University Press, 1990. Print.\nNeill, Michael. Introduction. Othello, the Moor of Venice. Ed. Neill. Oxford: Oxford University Press, 2006.\nOxford World\u0027s Classics. Print.\nNuttall, A.D. Shakespeare the Thinker. New Haven: London: Yale University Press, 2007. Print.\nShakespeare, William. Othello. Ed. E. A. J. Honigmann. Croatia: The Arden Shakespeare, 1997. Print.\nSpivack, Bernard. Shakespeare and the Allegory ofE vil. NewY ork :C olumbia University Press, 1958. Print.\nStoll, Elmer Edgar. Shakespeare and Other Masters. Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, 1940.\nPrint.\n今西雅章『シェイクスピア劇と図像学舞台構図・場面構成・言語表象の視点から」彩流社2008年"}]}, "item_10002_version_type_181": {"attribute_name": "著者版フラグ", "attribute_value_mlt": [{"subitem_version_resource": "http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85", "subitem_version_type": "VoR"}]}, "item_creator": {"attribute_name": "著者", "attribute_type": "creator", "attribute_value_mlt": [{"creatorAffiliations": [{"affiliationNameIdentifiers": [{"affiliationNameIdentifierScheme": "ISNI", "affiliationNameIdentifierURI": "http://www.isni.org/isni/"}], "affiliationNames": [{"affiliationNameLang": "ja"}]}], "creatorNames": [{"creatorName": "利根, 有紀", "creatorNameLang": "ja"}, {"creatorName": "トネ, ユウキ", "creatorNameLang": "ja-Kana"}, {"creatorName": "Tone, Yuuki", "creatorNameLang": "en"}], "familyNames": [{"familyName": "利根", "familyNameLang": "ja"}, {"familyName": "トネ", "familyNameLang": "ja-Kana"}, {"familyName": "Tone", "familyNameLang": "en"}], "givenNames": [{"givenName": "有紀", "givenNameLang": "ja"}, {"givenName": "ユウキ", "givenNameLang": "ja-Kana"}, {"givenName": "Yuuki", "givenNameLang": "en"}], "nameIdentifiers": [{"nameIdentifier": "24971", "nameIdentifierScheme": "WEKO"}]}]}, "item_files": {"attribute_name": "ファイル情報", "attribute_type": "file", "attribute_value_mlt": [{"accessrole": "open_date", "date": [{"dateType": "Available", "dateValue": "2022-10-13"}], "displaytype": "detail", "download_preview_message": "", "file_order": 0, "filename": "1884_944X_032_01.pdf", "filesize": [{"value": "1.7 MB"}], "format": "application/pdf", "future_date_message": "", "is_thumbnail": false, "licensetype": "license_free", "mimetype": "application/pdf", "size": 1700000.0, "url": {"label": "本文", "objectType": "fulltext", "url": "https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/record/15598/files/1884_944X_032_01.pdf"}, "version_id": "138a82b4-a0e9-4eec-a8c9-831e63e2f991"}]}, "item_keyword": {"attribute_name": "キーワード", "attribute_value_mlt": [{"subitem_subject": "Shakespeare", "subitem_subject_language": "en", "subitem_subject_scheme": "Other"}, {"subitem_subject": "Othello", "subitem_subject_language": "en", "subitem_subject_scheme": "Other"}, {"subitem_subject": "Iago", "subitem_subject_language": "en", "subitem_subject_scheme": "Other"}, {"subitem_subject": "感情の模倣", "subitem_subject_language": "ja", "subitem_subject_scheme": "Other"}, {"subitem_subject": "悪事の動機", "subitem_subject_language": "ja", "subitem_subject_scheme": "Other"}]}, "item_language": {"attribute_name": "言語", "attribute_value_mlt": [{"subitem_language": "jpn"}]}, "item_resource_type": {"attribute_name": "資源タイプ", "attribute_value_mlt": [{"resourcetype": "departmental bulletin paper", "resourceuri": "http://purl.org/coar/resource_type/c_6501"}]}, "item_title": "William Shakespeare作OthelloにおけるIagoの動機と感情の模倣", "item_titles": {"attribute_name": "タイトル", "attribute_value_mlt": [{"subitem_title": "William Shakespeare作OthelloにおけるIagoの動機と感情の模倣", "subitem_title_language": "ja"}, {"subitem_title": "The ambiguity of Iago\u0027s motives and his \u0027apparently\u0027 emotional acts in William Shakespeare\u0027s Othello", "subitem_title_language": "en"}]}, "item_type_id": "10002", "owner": "3", "path": ["1327"], "permalink_uri": "https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/records/15598", "pubdate": {"attribute_name": "PubDate", "attribute_value": "2022-10-13"}, "publish_date": "2022-10-13", "publish_status": "0", "recid": "15598", "relation": {}, "relation_version_is_last": true, "title": ["William Shakespeare作OthelloにおけるIagoの動機と感情の模倣"], "weko_shared_id": -1}
William Shakespeare作OthelloにおけるIagoの動機と感情の模倣
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名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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本文 (1.7 MB)
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2022-10-13 | |||||
タイトル | ||||||
言語 | ja | |||||
タイトル | William Shakespeare作OthelloにおけるIagoの動機と感情の模倣 | |||||
タイトル | ||||||
言語 | en | |||||
タイトル | The ambiguity of Iago's motives and his 'apparently' emotional acts in William Shakespeare's Othello | |||||
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言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
見出し | ||||||
大見出し | 論文 | |||||
言語 | ja | |||||
見出し | ||||||
大見出し | Articles | |||||
言語 | en | |||||
著者 |
利根, 有紀
× 利根, 有紀 |
|||||
著者ID | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | J-GLOBAL ID : 201401002754812592 | |||||
書誌情報 |
外国語外国文化研究 en : Studies on foreign languages and cultures 号 32, p. 1-10, 発行日 2022-03-31 |
|||||
出版者 | ||||||
言語 | ja | |||||
出版者 | 国士舘大学外国語外国文化研究会 | |||||
出版者 | ||||||
言語 | ja | |||||
出版者 | 国士舘大学全学教養教育運営センター外国語部会 | |||||
ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 1884-944X | |||||
NCID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN10370794 | |||||
NDC | ||||||
主題Scheme | NDC | |||||
主題 | 932.5 | |||||
フォーマット | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | application/pdf | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||
キーワード | ||||||
主題 | Shakespeare, Othello, Iago 感情の模倣, 悪事の動機 |
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注記 | ||||||
本稿は、2015年京都大学に提出した博士論文 The Tradition of the Vice and Shakespeare’s Villains in His Tragedies の第三章に大幅に加筆・修正を施したものである。博士論文でも、Iagoは鏡のように他の登場人物達の感情を映し出していると指摘したが、本稿ではそれをさらに発展させて議論している。 |