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スリランカの面積はだいたい6万5000平方kmで,スリランカは北海道よりは小さく,九州よりは少し大きいです。人囗はだいたい2040万人ぐらい。公用語はシンハリ語,タミール語,また英語にも非常に力を入れています。識字率はだいたい94%ぐらい。この高い識字率はなぜかというと,スリランカは独立してから教育を無料にしたことがひとつ関係しています。スリランカの周りの国々はこれだけ識字率は高くはありません。宗教は国民のだいたい7割ぐらいは仏教徒です。もちろんキリスト教も,ヒンズー教も,イスラム教も,ほかの宗教も信じている人はいます。1972年にスリランカ民主社会主義共和国になりました。英連邦内の共和国になりました。\n 2.日本とスリランカの深い絆\n つぎに,日本とスリランカの深い絆について少しお話したいと思います。みなさんはサンフランシスコ平和条約のことを聞いたことあると思います。この条約は,第二次世界大戦終了後,1951年にアメリカ合衆国をはじめとする48ヵ国と日本国との間で,戦争を終わらせるために結ばれた平和条約です。日本の独立問題や日本への制裁について話し合われました。この会議で同じ仏教国という立場から,スリランカのジャヤワルデネ代表は仏陀の言葉を使って演説しました。どういう演説だったかといいますと,セイロン代表のジャヤワルデネ氏は「憎しみは憎しみによっては止まず,ただ愛によってのみ止む」という演説をおこないました。この演説は,日本が独立国になるうえで大いに役立ったと思っています。\n 3.海を超えて夢を育んだ私の生涯\n 3番目のトピックスは,海を越えて夢を育んだ私の生涯についてです。私は1939年にコロンボで生まれ,1948年に,(スリランカの) 良い学校へ入ることができました (日本語でいうと私は昭和14年生まれの現在78歳なのですが,みんなには78歳とは言わず,58歳で結構理解してもらっています)。学校に入ってからの私は,いろいろと一生懸命に勉強しました。私の父自身はあまり教育を受けていないのですが,私を含めて子供たちには,できるだけ良い教育を受けさせようという気持ちをもっていました。\n 私の父は店を3軒経営していました。学校が休みのときには,父は私にその店で必ず仕事するように命じました。幼かった私はもちろん嫌がりましたが,あとになってから,だんだんそれはいいことだと理解できるようになりました。また,私は長男として,父がやっていた商売にはあまりにも将来性がないということもだんだん分かるようになりました。\n なぜ将来性がないと思ったのでしょうか。私の父は,いろいろ商品を売る雑貨屋,生地の販売店,食堂を経営していました。食堂は大して悪くはなかったですが,それ以外は競争相手がいっぱい出てきました。他の店は共同の店で,みんながお金を出してできた店でした。共同の店にはお金がたくさんあって,業者から品物を仕入れるときにロットで (大量に) 仕入れることができました。例えば,世界で有名なユニリーバという会社,またはネスレという会社がありますが,そういう会社から品物を仕入れると,ロットで (大量に) 仕入れると割引がありました。父の店は自分のお金しかなかったのでロットでは仕入れることができず,共同の店はロットで (大量に) 仕入れることができたので,サービスが悪くても品物を安く売ることができました。\n 例えば,共同の店では,商品を買う場合は自分で袋を持っていかなければなりませんでした。このようにサービスは悪かったのですが,商品は安かったわけです。父の店ではそんな安くは売れませんでしたが,お客さんに対して後払い,また商品を買ったときは袋に入れてあげました。お正月のときはカレンダーをつくってあげました。クリスマスのときはケーキを,小さくてもほとんどのお客さんにつくってあげました。共同の店にはそういうサービスは全然なかったのですが,商品が安かったので,お客さんはみんな共同の店に買いに行くようになってしまいました。私は長男として私の父の商売には将来性がないことがよく分かるようになりました。\n そして17歳ぐらいのときから,まだ学生だった私は,父と変わったことをやらなければならないと思って,セイロン (そのときはまだスリランカではありませんでした) では何か産業を興さなければならないと感じていました。なぜ産業かというと,そのときはセイロンには全然工場がなかったからです。モノづくりはほとんどなかったのです。ですから私が17歳のときから何か工場でつくれるものができたら,スリランカには将来性があると感じて,いろいろ考えたうえで,父の店で売っていた陶器を見て,では陶器をつくったらどうかとい\nうことが頭に浮かんできました。\n そのことを父に相談したところ,父はセイロンでは陶器のつくり方はどこでも教えていないので,アメリカまたはイギリスへ行ったらどうかと言ってくれました。もちろん,日本はそのときあまりにも知られていませんでした。1950年代の話です。\n いまから60年ほど前。14歳ぐらいのときから私は日本に興味をもっていて,日本にペンフレンドがいました。手紙をだいたい1ヵ月に1回ぐらい書いて,向こうからも返事が来て,すごく面白かったのを覚えています。その文通のなかで,ひょっとしたら私はアメリカかイギリスへ,陶器のつくり方を習いに行くかもしれませんと手紙に書きました。すると2週間ぐらいあとで,日本のペンフレンドから手紙が来て,もし陶器のことを習うならぜひ日本にいらっしゃいと書かれていました。日本への招待でした。このことを父に相談して,1960\n年 (昭和35年),私ははじめて来日し,愛知県瀬戸市に陶器のつくり方を習いにやってきました。\n 今はこちらにいらっしゃる方はほとんど生まれていなかったので,本当に分からないかもしれません。また,言っても信用してくれないかもしれませんが,そのころの瀬戸はすごく遅れていました。私は個人留学生として日本に来ましたが,私の父は毎月私宛てに350スリランカルピーずつ送ってくれました。その350ルピーは当時日本の2万6000円でした。円はドルに対して360円だったころです。当時はスリランカの経済もよかったので,スリランカのお金はとても価値がありました。当時の私は2万6000円もらっても,決して無駄遣いをしませんでした。\n ただ今では,スリランカと日本との関係はだいぶ変わってしまい,スリランカルピーがすごく弱くなりました。日本円はより強くなって,いまの350スリランカルピーは日本円で300円ぐらいにしかなりません。\n できるだけ一生懸命に日本で陶器の技術を習って,国へ帰って自分で工場を開くことが私の一番の目的でした。陶器のつくり方を習うために大学にはいかなかったのですが,その代わりに専門学校に行ったり,窯業訓練所に行ったり,また試験場で勉強させてもらったりして,たくさんのことを7年間で学びました。その間に私は日本人の女性と結婚し,妻とスリランカに帰ったのです。\n スリランカに帰国してびっくりしたのは,父の商売は全然うまくいっていないことでした。そこで私はとても苦労しましたが,ミダヤ・セラミックという会社を設立しました。ミダヤ・セラミックという会社では,日本から中古の機械を輸入して陶器つくりを始めました。しかし,そのあとが問題でした。本当に苦労しても苦労しても,窯では陶器がうまく焼けませんでした。土や釉薬 (うわぐすり) の調合もうまくできない。とにかくいろいろなことを試して頑張って,ようやく簡単なものをつくれるようになっただけでした。\n そのため損ばかりしていました。そのとき私が瀬戸で知り合った日光陶器という会社のヤマダさんという副社長が助けてくれました。昔の瀬戸には大学を卒業した人があまりいなかったのですが,ヤマダさんは早稲田大学の卒業生で,英語もしゃべれました。私か瀬戸にいたとき,私かアルバイトで英語を教えたこともありました。そのころの瀬戸にはものすごく多くの注文がきていて,アメリカにほとんど輸出していました。商売はものすごくよかったのです。ヤマダさんは世界一周しながらスリランカに寄ってくれて,私が苦労しているのを見て,何とかしてあげなければならないと思ったのでしょう。彼は日本に帰ってから,私に見本と型を送ってくれて,見本と同じものをつくったら,あとは私が何とかしてあげますという話でした。\n 私は頑張ってつくりました。第1回は失敗。第2回も失敗。第3回は何とかヤマダさんの思ったような製品ができました。約束とおり,彼は私を助けてくれました。\n ちょうどそのとき日本もだんだん陶器をつくるのが難しくなってきていました。陶器会社で仕事をする人が少なくなって,円高の影響で,アメリカに輸出する製品がほかの国との競争に負けるようになっていました。なので,この状況はスリランカにいる私たちには素晴らしい機会であると同時に,日本にも都合がよかったわけです。\n ヤマダさんは,スリランカにものすごく力を入れてくれて,愛知県瀬戸市の日光陶器の工場を閉めて,製品を100%スリランカのミダヤ・セラミックでつくって,直接アメリカに輸出することになりました。このことは,もちろん日本のためにもよかったのですが,スリランカも外貨を稼げるようになって,ミダヤ・セラミックはものすごくよくなっていったのです。"}]}, "item_10002_version_type_181": {"attribute_name": "著者版フラグ", "attribute_value_mlt": [{"subitem_version_resource": "http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85", "subitem_version_type": "VoR"}]}, "item_creator": {"attribute_name": "著者", "attribute_type": "creator", "attribute_value_mlt": [{"creatorNames": [{"creatorName": "ワルナクラスーリヤ, ダヤシリ"}], "nameIdentifiers": [{"nameIdentifier": "20842", "nameIdentifierScheme": "WEKO"}]}, {"creatorNames": [{"creatorName": "WARNAKULASOORIYA, Dayasiri", "creatorNameLang": "en"}], "nameIdentifiers": [{"nameIdentifier": "20843", "nameIdentifierScheme": "WEKO"}]}]}, "item_files": {"attribute_name": "ファイル情報", "attribute_type": "file", "attribute_value_mlt": [{"accessrole": "open_date", "date": [{"dateType": "Available", "dateValue": "2018-08-21"}], "displaytype": "detail", 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若者よ,海を渡れ : 日本を愛するスリランカ実業家からの熱いメッセージ
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名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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本文 (987.7 kB)
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2018-08-21 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 若者よ,海を渡れ : 日本を愛するスリランカ実業家からの熱いメッセージ | |||||
タイトル | ||||||
言語 | en | |||||
タイトル | Boys and Girls, Cross the Ocean : A Keen Message from a SriLankan Businessman who Loves Japan | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
見出し | ||||||
大見出し | 講演会記録 | |||||
言語 | ja | |||||
見出し | ||||||
大見出し | RECORD OF OPEN LECTURE | |||||
言語 | en | |||||
著者 |
ワルナクラスーリヤ, ダヤシリ
× ワルナクラスーリヤ, ダヤシリ× WARNAKULASOORIYA, Dayasiri |
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著作関係者詳細 | ||||||
ミダヤ・グループ代表取締役会長 | ||||||
内容記述 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 目次 1.光り輝く島,スリランカ 2.日本とスリランカの深い絆 3.海を超えて夢を育んだ私の生涯 4.日本とスリランカをつなぐ明日への道 |
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開催情報 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 開催日 : 2017年6月7日 開催場所 : 国士舘大学メープルセンチュリーホール |
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書誌情報 |
国士舘大学経営論叢 en : Kokushikan business review 巻 7, 号 1, p. 149-160, 発行日 2017-08-31 |
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出版者 | ||||||
出版者 | 国士舘大学経営学会 | |||||
ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | ISSN | |||||
収録物識別子 | 2187-1701 | |||||
NCID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AA12596708 | |||||
論文ID(NAID) | ||||||
関連タイプ | isIdenticalTo | |||||
識別子タイプ | NAID | |||||
関連識別子 | 40021373099 | |||||
NDC | ||||||
主題Scheme | NDC | |||||
主題 | 289.2 | |||||
フォーマット | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | application/pdf | |||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||
キーワード | ||||||
スリランカ 一般財団法人海外産業人材育成協会 AOTS 5S (整理、整頓、清掃、清潔、躾) | ||||||
注記 | ||||||
通巻第11号 | ||||||
注記 | ||||||
この講演会記録は,2017年6月7日,経営学会が国士舘創立100周年記念事業として国士舘大学メープルセンチュリーホールにて開催したダヤシリ・ワルナクラスーリヤ氏の講演に,経営学会が修正・加筆したものである。 | ||||||
注記 | ||||||
執筆者紹介 (奥付) : ダヤシリ・ワウナクラスーリヤ |